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就活生が「何者」を読んだ感想。

朝井リョウ「何者」感想・ネタバレです(^o^)

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就活真っ只中の5月頃に購入して10ページほど読んで、手を止めた。余りにも大学生活のリアルで、就職活動のリアルに触れてしまっていて、わたしの心のキャパシティでは受け止めきれない何かだったからである。

それでも、就活も落ち着いていろいろ自分の中でどの会社に進むか決意が固まってきたので、もう一度手に取った。それが今朝の8時前。今現在11時前。3時間程で読み終わった。久しぶりにこんなに文章を読んで、大学に入り読書という読書をしていなかった私はもう文章が読めなくなった…とまで思っていたのだがそんなことはなく、気がつけば読み終わっていた。

そして読み終わってとりあえずブログに感想、書きとめとこー*(^o^)/*と思いスマホを開くと、マイナビリクナビから大量のメールが届いていてオエゲロ…ってなりました(笑)

あとがきにもあったように、この朝井リョウさんの文章が最初は主人公に感情移入して、傍観者としてこの物語を読んでいくけど、最後に主人公が傍観者ではなくなった…だから、それまで感情移入をしてきたせいで、自分自身にその刃が向けられている気がしてゾッとした。

大学生活で舞台に立つ、ということからまず私とは共通点があった。(私の場合はバンドや演劇ではなくダンスだけど。)私自身もツイッターに練習中の写真をあげたり、本番前には観にきて!とツイートしたり、引退公演後には、仲間最高!感謝!みたいなツイートをしたりしていた。(笑)だけど、私的にはそれは本当の本当の本当の本心でしかなくて。でもこの小説を読んでいる初めのうちはそれを否定している主人公に感情移入をさせられて、そんな行動をとるやつは想像力がないんだと馬鹿にする主人公に、自分の行動は想像力がなかったのか、と思わされ、その都度自分の行動と照らし合わせていた。SNSのプロフィール欄に無駄に何学部とかサークルだなんだこうだ書き綴ってたときもあったな…!(笑)と懐かしくなりました?←

光太郎の言葉がすごく良くてというか、光太郎が菅くんはめっちゃ想像できたw 全部CV菅田将暉で脳内再生されました。ご馳走様です。就活で人生が決められる、でも就活が得意って、足が速いだとか料理が得意だとかと変わらない、就活が得意。ただそれだけなのに、それだけで人格が全肯定されたようになる。逆に就活に失敗すると人格が全否定されたようになってしまう。

あと、やっぱり今までは頑張っている過程を見てくれる人がいた。同じ目線で進路を考えてくれる人がいた。それがいなくなる。両親や学校の先生が自分のことのように親身に進路の相談に乗ってくれたり、みんな足を揃えて同じように高校1年生から2年生に進級したり、同じようにセンター試験を受けて進学する仲間がいた。それが、いなくなる。そして、その変化が必ずあった。何もしなくても大学1年生から2年生へと進級…進化して、自分の意思とは関係なく常に変化していったけれど、もしこれから先、変化したいと望むのならば自分から、一人で動かないといけない。それが結婚になるのか転職になるのか、変化するならそのタイミングもその形もすべてを、自分で決めないといけない。

現実を見て就職して、夢を諦めたり。内定がゴールじゃなくて、ゴールの先にやることやりたいことがすでにある人っているし、そういう人たちとやっていかないといけない。自分の夢とかビジョンとかより、会社のやり方に合わせていかないといけない。でもわたしはそれって仕方ないかなと思っていて、やっぱり1人では生きていけないと思ってるからで…ちゃんと就職するってなんなんだ、とかね!やりたいことをやれる会社に中小でも就職するのが、ちゃんと就職するなのか、金銭面も良くて安定した職に就くのが、ちゃんと就職する…なのか。

でもやっぱり、かっこ良くない自分を受け入れて認めて、かっこ悪い、泥臭い上で私たちはできるだけ理想に近づけるようにしないといけない…。わたしにもこの気持ちは欠けていたかな。かっこ悪いからと、俯瞰的になって、わたしは俺は、こいつたちとは違うんだと一線を引き傍観者になるのは、自分自身と向き合えてないことだよね。理想だったなりたかった何者かになれないから、私たちは他者からの評価で何者かになった気になるんだろう。

世の中には何者かになった人はもちろんいるけど、大多数は何者にもなれなかった。それでも何者にもなれないなりにかっこ悪くても理想に近づけるように努力するんだ。過程なんて見られてないと言われようとも。

やっぱりわたしの周りにも就活が始まっても髪の毛を茶髪でセミナーに行ったり、ちょっと自分は違うアピールをしている人はいる。いるけど、それを見下しはしていない。私は、かっこいい!!私にはできない!!と純粋に思った。私自身就活に対して斜に構えてる部分があった。勿論元々理系で大学は何かの間違いで(笑)法学部に入ってしまったのだから、仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。しかし、就活を通して私は適応した。というか、新しい世界を知った。純粋に自分にはわからない世界だったし、想像できる未来ではなかったから、こんな就活をしている自分は、少しいい経験をしたとさえ思っている。それこそ私はこのまま理系で就職活動という就職活動をせずに、仕事に就くのであれば、きっと社会の何も知ることは出来なかったし、知ろうとも思わなかったし、見下していたのだと思う。だから私がこうやって法学部に入り、普通の就職活動をすることは、人生において自分の成長においてとても重要な出来事なのだろうと思う。

そして改めて感じたのは就職活動におけるそれぞれが抱える悩みや問題は本当に千差万別であり、それぞれ異なっている。ギンジが演劇だけで食っていけるかは分からない。隆良みたいに自意識が高く、ポエマーなクズが1番就職には困る。でも、それって就職活動という活動においては、不得手であるだけであり、きっとその姿勢は見習うべき点もあるのだ。主人公だってそうだ。俯瞰して、自分はさも当事者じゃないかのように他人を批判する。でもそれって、誰もが理解し得る一種の快楽の方法なのではないだろうか。私は他の人とは違う。そう思いたい。そう信じたい。光太郎は、夢見がちであるといえばその通りだ。恋してる相手に会える確率なんてとても低い。そしてそれだけの理由ですんなり入れてしまう。そんな自分に気づいても、彼女のことはきっと諦めきれない。就職活動においては何を捨てて何をとるのか、100%希望通りになんてならないのだ。そりゃあ誰だって初任給が高くて昇級もしてボーナスも出て福利厚生は充実してて週休2日で残業はなしで出来ればみんなに自慢できるようなところで働きたい。その上自分の興味のある分野であれば尚更だ。人生のひとつの指針になる選択をするのが、就職であると思う。どんな風に生きていくのか、仕事一筋で生きていきたい人ならば、多少残業が多くても休みがなかなか取れなくても、それでも仕事内容が良ければ本人は幸せだ。だけど、プライベートでの活動も、休日もしっかり取りたい、そのため、小さな企業をわざわざ選ぶ人だっているだろう。

瑞月は、現実のせいにして、自分が夢を追うことから逃げた。何か、を言い訳にして。自分は現実を生きてるんだ、と。まぁでまそれも分かるから、なんとも言えない。現実と折り合えをつけて、ずっとやりたいことを追えるわけじゃないのだ。私だって本当なら演劇に関わってみたい。脚本だって書いてみたい、舞台に立ってみたい。そういうことで食べていけるのであればそれほど幸せなことはないのかもしれない。元々志していた医療の現場で働きたい。自分のしてきたスポーツを頑張る子どもたちや、自分が体を動かせる幸せを知ったからこそ、リハビリのお手伝いをしたい。母が病気で苦しんだ時に母を支えてくれた医療従事者のように、私が1人暮らしでインフルエンザで辛い時や就職活動での検査で引っかかったときに心配してくれた医療従事者のように、どんな形であれ、携わりたいと思った。けど、今現在私の進んでいる道は、それとは大きく異なる道なのである。

瑞月を見て思ったのは、やっぱりどの自分も正解だからどの自分も捨てられないから苦しいというのはあるのだと思う。夢を追う自分も、現実を鑑みて母のために決断を下す自分も本物だ。すべて大切にしたいんだ。それは本心なんだ。だけど、どちらかの自分は捨てなければならない。そしてその選択には正解がない。

そしてこの「何者」の面白いところは、はじめは主人公の考えは正しいと思わされてしまうこと。ギンジや隆良や理香の方がかっこ悪くて、主人公のように俯瞰的に考えられることって大切だよね!とずっと錯覚させられるのである。元々俯瞰的に見ているタイプの人間からしたら本当に感情移入できるだろうし、どちらかというとギンジや隆良や理香寄りの人間から読んでも、ああ自分は愚かだったと思わされ、主人公側に自然と立たされるのである。それなのに!文章を読んで主人公側に立って安全圏にいると読者が思ったあたりで、ばーん!とどんでん返し…というかなんというか(笑)遠くで見ていたはずの乱闘が、気づけば急に自分がそのど真ん中そして各方面から刃を向けられている状況に変わるのである。その、変わり方がとても、小説として面白かった。朝井リョウの他作品…チア男子も読んでみようかな〜なんて思いました。

まあやっぱり就職活動は内定もらったはい終了じゃない。

と、就活生が何者を読んだ感想をば。と思ったけれど、読書感想文褒められるタイプだったのに全く文章も書けない。・゜・(ノД`)・゜・。語彙力…思っていることを文章化することの難しさ。やっぱり、SNSの文字には本当のことはないのかもしれない。この文章の裏側にあるわたしの本心…とは。